特集
能楽は「能」と「狂言」からなる日本の伝統芸能。室町時代から600年以上の歴史を経て、変わらぬ人の思いや身近な笑いを伝えています。角度によって変化する能面の表情、迫力ある舞や音楽などが見どころです。難しく考えず、気楽に能楽の世界をのぞいてみましょう。
能と狂言。まずは気軽に、感じたままに楽しんで。
能を観てみよう!
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写真上:『石橋(しゃっきょう)』
歌舞伎の人気演目「連獅子」の原作にあたります。
舞台は中国の清涼山(せいりょうざん)の深い谷に架かる石橋。法師が、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が住む浄土につながるという橋の前でしばらく待つと、文殊の使いである獅子の親子が現れます。親の白獅子はどっしりと、子の赤獅子は俊敏に、咲き乱れる牡丹と戯れながら勇壮に舞い、千秋万歳を祝います。 -
写真下:『羽衣(はごろも)』
各地で伝わる羽衣伝説を題材にした演目です。
三保の松原で漁師(ワキ)が天女の羽衣を見つけます。返してほしいと嘆願する天女(シテ)に、漁師は舞を見せてくれたら衣を返すと答えます。衣をまとった天女は、富士山を背に優雅に舞い、地上に宝を降らすと天上界へ帰っていくのでした。
狂言を観てみよう!
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写真①②『附子(ぶす)』
「絶対にしてはいけない」と言われればしてしまう…。小学校の国語の教科書にも採用されている分かりやすい狂言です。
家の主人が、太郎冠者(たろうかじゃ)と次郎冠者の家来2人に留守を任せ、桶には「附子」という毒が入っているので開けてはならん、と伝えて家を出ました。しかし、「附子」を見てみようと桶を開けてしまう2人。中身はなんと砂糖で、2人で全部食べてしまい・・・。その後の無情なてん末はいかに? -
写真③『三本柱(さんぼんのはしら)』
新築祝いなどで上演されるめでたい演目。1月の大濠公園能楽堂リニューアル記念公演でも演じられました。
主人が3人の召使いに命じたのは、家の新築に使う3本の柱を山から運んで帰ること。その際に出した条件が「3本の柱を3人で、2本ずつ持って帰ること」というユニークなもの。山に着いた召使いたちが出した答えとは?
写真①
写真②
写真③
- 室町時代(14世紀)に成立した能と狂言は、元々1つの舞台劇でした。そのため、2つをまとめて「能楽」と言います。能は、神話や歴史上の物語を題材とし、草木の精や神々、天女、鬼などが人間の世界に現れ、交流を持つ話が多いのが特徴です。能面や美しい装束を用い、舞や囃子(はやし)、謡(うたい)で人間の悲しみや怒り、恋慕の思いなどを表現します。一方、狂言は、庶民の日常生活を面白おかしく演じる喜劇です。ほとんど面をつけず、セリフを中心とし、笑いを通じて人間の普遍的な”おかしさ”を描き出します。
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シテ・ワキ
シテは、演目の主役。多くは面(オモテ)を着けて演じる。
ワキは、シテの相手役で、脇役のこと。狂言では「アド」と称す。
なお、シテの担い手を「シテ方」、ワキの担い手を「ワキ方」と言う。アイ
能の演目に登場する狂言の演者。物語の背景を説明したり、展開を盛り上げたりする。
囃子(はやし)
楽器の演奏を担う奏者。笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓がある。
地謡(じうたい)
シテ方が務めるコーラス隊。
情景や登場人物の心理を謡によって表現する。
- 能のシテ方には5つの流儀(観世(かんぜ)、金春(こんばる)、宝生(ほうしょう)、金剛(こんごう)、喜多(きた))、狂言には2つの流儀(大蔵(おおくら)、和泉(いずみ))があります。同じ演目でも、各流儀によって詞(ことば)や節回し、演出などが少しずつ異なります。この違いを見比べるのも、能楽鑑賞の一つの見どころです。
INTERVIEW
もっと知りたい!
能・狂言の味わい方
能や狂言の楽しみ方を深く知りたい!そこで、能楽の魅力とアプローチの方法を能楽師・多久島法子さん、狂言師・野村万禄さんに教えていただきました。
能楽界とお客さまの橋渡し役に
能楽師・シテ方観世流(かんぜりゅう)
多久島法子(たくしまのりこ)さん
1981年、福岡市生まれ。人間国宝に認定された大槻文藏(おおつきぶんぞう)、重要無形文化財総合認定保持者の父・多久島利之(たくしまとしゆき)に師事。男性が多い能楽の世界で女性の感性を生かし全国で活動中。福岡を拠点に能楽教室やワークショップも積極的に行っている
「能」を観るときって、言葉の一つ一つを理解しなきゃいけないと思いがちですけど、そんなことはないですよ。「何となく清々しい雰囲気だな」とか「能楽師の凛とした立ち居振る舞いがかっこいいな」くらいの気楽さで大丈夫です。私は、初心者向けの公演や小中学生向けのワークショップなどで演目の解説をすることがあるのですが、なるべく分かりやすい言葉を使うよう心掛けています。
例えば『源氏物語』を題材にした『葵上(あおいのうえ)』という演目では、主人公・光源氏の正妻・葵上は、人間が演じるのではなく、舞台正面に着物が置かれます。これは生霊となったシテの六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の恨みで、葵上が病床に伏していることを表現しています。このように、演目の中に出てくるアイテムやしぐさが物語にどんな影響を与えるのか、ポイントを知るだけで物語の背景が見えてきます。主人公の心情、どれだけの思いや恨みがあったのか。ちょっとした解説で、楽しく観ていただけるのではと思います。
「能」は古(いにしえ)の人の魂を伝えていると思うんです。人を一途に想い続ける気持ちとか、わが子と離れ離れになった悲しみとか。人を愛し、季節を愛でるということは現代に生きる私たちにも通じるものですよね。昔から変わらない人としての感動や思いを今の人たちにも伝えたいですね。
能楽堂の異次元の空気感、ひのき舞台の香りを嗅(か)いで、異世界のメロディーを聞くことで想像を膨らませる…。まずは神秘的な居心地の良さを楽しんでもらえたらと思っています。
「狂言」は庶民の元気を支えるもの
狂言師・狂言方和泉流(いずみりゅう)
野村万禄さん(のむらまんろく)さん
1966年、東京都生まれ。人間国宝に認定された故・六世野村万蔵(まんぞう)の孫。国内外で数多く公演を行う傍ら、福岡を拠点に狂言の普及と発展に尽力。福岡県文化賞奨励部門受賞・重要無形文化財総合認定保持者
「能」と「狂言」は能楽の表裏一体と言えます。「狂言」は中世・室町時代に生きていた庶民の話。代表的なのが狂言に登場する役柄の一つで、「太郎冠者(たろうかじゃ)」という召使い。その召使いが引き起こす日常的な失敗談や笑い話を、コントのような仕立てにして表現しています。狂言の登場人物は庶民が8割。「能」のように神様や有名な武将ではないんです。
「能」は神様や宗教とも絡んでいて、「悲哀」や「死後の世界」を描いたものが多いですが、「狂言」は生きている人間が笑いのエネルギーでお客さんを巻き込み、「明日も元気に生きていきましょうよ」と笑い飛ばします。「狂言」は現代の日常生活にも近いんですよ。
能楽にはいろいろな演目がありますが、現代はインターネットの時代。どういう演目なのか、調べてから観るのもいいですよ。「狂言」は「能」に比べると、初めてでも分かりやすいでしょうから、「この演目は面白そうだ」とか想像して観に来ると、もっと楽しんでもらえると思います。風刺性の強い笑いや教訓めいたものも含んでいるので、難しく考えずに”ノリ “を感じてほしいですね。
<作品紹介>INTERVIEW
『桧原桜』の物語を後世に語り継ぐために
現代で新たに生まれる能楽もあります。『桧原桜』は福岡で生まれた能の新作。制作に携わった能楽師・白坂保行さんにお話を聞きました。
「花あわれ せめてはあと二旬(にじゅん) ついの開花をゆるし給え」
これは昭和59年3月、道路拡張を機に伐採されることになった桜を惜しんで、一人の福岡市民が詠んだもの。これをきっかけに、伐採中止を嘆願するたくさんの歌が桜の枝につり下げられ、マスコミにも大きく取り上げられました。
「桜花(はな)惜しむ 大和心(やまとごころ)のうるわしや とわに匂わん 花の心は」
その中の一首は、当時の福岡市長の返歌であることが後に分かり、桜は伐採を免れました。実際にあったこのエピソードを元に生まれた能の演目が『桧原桜』です。
この演目は九州大学大橋キャンパスの学生たちが発案し、地元で活動する能楽師である私と妻が制作に携わりました。地域の話は面白いですよね。能の大成者である世阿弥(ぜあみ)も、「能」は皆が知っている話で作らなきゃいけないと遺しているんですよ。『桧原桜』の話も、当事者が90歳くらいになり、語り継ぐのが難しくなってきたものを、こうした形で伝えていける。これは「能」の本質なのです。『桧原桜』は能の演目ですが、途中で狂言のパート(アイ)が入ります。そこであらすじを語るシーンがあるんですが、その語りが非常に分かりやすくて。なぜ桧原桜が残ったのかが、ちゃんと理解できる。地域で生まれた「能」として後世に残しうる作品となったと思っています。
『桧原桜(ひばるざくら)』
博多織の装束が使われていたり、演目の後半では地元の子どもたちが“桜の精”として出演したりするなど、福岡ならではの現代能楽となっています。歌人の大隈言道(おおくまことみち)は、ある春の日、散る桜に誘われて桧原の里を訪れ、一人の若い女と出会いました。女は言道に、この桜の木にまつわる物語について語ると、そのまま姿を消します。その後、夜になり桜の精と花守が現れ、月光に桜が舞い散る中、共に舞い遊びます。桜の花びらは山々や海を越え、世界中へ花の心を伝えていくのでした。
大濠公園能楽堂の楽しみ方
舞台はオープン
本舞台は四隅に柱があるだけのオープンな空間。余すことなく観ることができるため、舞台の役者の熱や緊張がダイレクトに伝わります。能楽堂の観客席の楽しみ
能楽堂は正面だけでなく、橋掛り(はしがかり)という登退場の通路に面した脇正面にも席があります。見る席によって舞台の表情が変わって見えるので、展開の変化を一層楽しめます。松を眺めて縁起良く
能舞台の後ろには大きな松の絵が描かれています。これは鏡板(かがみいた)と呼ばれ、舞台正面の客席側にある松が舞台に反射しているという様子を表現したもの。松は神仏を現すものゆえ、能舞台は神様に披露する舞台といえるのです。
能楽だけじゃない!能楽堂からの新たな発信
伝統芸能である能楽はもちろん、クラシックコンサートやジャズライブも開催。過去にはここで将棋の王位戦(1)が開催されたことも。また、厳かに能楽師が舞を添える結婚式(2)も人気。能楽堂のひのき舞台から新たな発信が始まっています。