Smile移住・定住/田川市
何より人が温かい。思い溢れる人たちと未来を紡ぐまちづくり
新卒社会人の頃、自分の進むべき道に悩み、苦労した経験を子どもたちのキャリア教育に生かしたいと教育現場の道へ。赴任した田川市で地元の人たちの温かさに触れ、地域に溶け込みながら、自分にできるまちづくり活動に取り組んでいます。
移住者である自分を受け入れてくれた田川の地に恩返しを
千葉県出身の北さんは、高校はカリフォルニア、大学は横浜、働き始めたのは東京と、ずっと大都市暮らし。「移住した田川市はこれまで過ごした都市より小さいですが、その分、地域の人との距離の近さを感じます」。北さんが地域に溶け込むきっかけとなったのが地元の神幸祭(じんこうさい)でした。「皆さんが祭りに向かって一斉にまとまっていく感じが好きで。参加した時、先生よく来たね!と快く声をかけてもらい、地域の一員として受け入れてもらった気がしたんです」。以来、地域の催しに顔を出す機会も増え、どんどんつながりが広がったそう。
現在勤務する西田川高校は、生徒が自らの興味や進路希望に応じて授業を選ぶ単位制を取り入れた学校。北さんは、新卒社会人時代に自分が本当にやりたいことは何か悩み苦労した経験から、「自分の意思をしっかり持った子どもたちを育てたい」と、キャリア教育に意欲を見せます。
「田川の魅力は人。人の思いや温かさですね。田川、筑豊を元気にしたいと思っている人がとても多くて励みになります」と北さん。最近は、商店街のイベントに生徒と一緒にボランティアで参加するなど、地域活動も始めています。「田川で知り合ったユニークなキャリアを持つ地域の皆さんと子どもたちをつないで、このまちの未来を夢あるものにしたいんです」と力強い言葉と曇りのない笑顔で、自分にできるまちづくりを一歩ずつ進めているようでした。
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【今回の先輩移住者】
福岡県立西田川高等学校 教員 北 敢(きた いさむ)さん
小学校の教員として田川市に赴任。移住4年目の現在は、県立西田川高校に勤務しながら、まちづくり活動にも参加している。
田川市って
どんなところ
炭坑節発祥の地として知られ、近代日本を支えた石炭産業で発展。近代化産業遺産でもある二本煙突は市のシンボルです。豊かな自然と交通の利便を生かしたまちづくりが始まっています。