東アジアに開かれた玄関口として発展してきた福岡県は、
古代においても大陸の影響を受けた豊かな文化が花開きました。
大陸との深い交流の中からもたらされ、独自の発展を遂げた
古代の文化から見えてくるテクノロジー(技術)をご紹介します。
東アジアに開かれた玄関口として発展してきた福岡県は、
古代においても大陸の影響を受けた豊かな文化が花開きました。
大陸との深い交流の中からもたらされ、独自の発展を遂げた
古代の文化から見えてくるテクノロジー(技術)をご紹介します。
玉類
出土したガラス小玉、管玉(くだたま)、土製勾玉(まがたま)。管玉は製作途中のものがあることから、集落に玉類を作る工人集団が居住しており、すでにこの時代、技術を持った専門集団がいたと考えられる。
※写真/朝倉市教育委員会 提供
ネズミ返し
復元された高床倉庫の柱に取り付けられたネズミ返し。貯蔵する大切な穀物を、ネズミなどに食い荒らされないための技術である。 先人達がネズミの能力を知り、どのような工夫で被害を防いでいたのかが分かる。
三又鍬と鋤(みつまたくわとすき)
環濠(かんごう)から出土した木製の鍬と鋤。この時代、鉄などの金属器はまだ貴重品で農具には木が使われた。しかし、それらの形も用途も現代のものに近く、想像以上に農業技術が進んでいたと思われる。
※写真/朝倉市教育委員会 提供
内行花文鏡(ないこうかもんきょう)
絶大な権力の証しとみられる直径46.5cm・重さ約8kgの国内最大の銅鏡。平原遺跡では5面の内行花文鏡を含む、40面もの銅鏡が見つかった。鏡は実用品というより、権力の象徴として、また祭祀に使われていたと考えられている。
※国(文化庁)保管 伊都国歴史博物館 展示中
素環頭大刀(そかんとうたち)
長さ80.2cmの鉄製の大刀。ほとんど反りを持たない、直線状の大刀で、王の力の象徴として棺のふたの上に置かれた物と見られている。鉄も当時は貴重で、権力の証しとして用いられた。鉄が普及するのは弥生時代の後期になってからで、武器や工具として登場する。
※国(文化庁)保管 伊都国歴史博物館 展示中
ガラス勾玉(まがたま)
頭部に4本の沈線(ちんせん)のある大型の勾玉。この勾玉をはじめ、貴重なガラスやメノウで作られた色鮮やかな装身具や、身分の高い女性のみが身に付けられるピアス「耳璫(じとう)」が出土したことから、被葬者は有力者の女性(女王)と考えられる。
※国(文化庁)保管 伊都国歴史博物館 展示中
北部九州へ、
稲作の伝来と
青銅器・鉄器の登場
平塚川添(ひらつかかわぞえ)遺跡(朝倉市)
多重の濠を持つ環濠集落。現在は遺跡公園として、住居、祭殿、首長館、高床倉庫の一部が復元されている
今からおよそ2400~2500年ほど前の弥生時代、水田稲作の技術が中国や朝鮮半島から北部九州に伝来しました。また、同時期に伝わった青銅器や鉄器も、武器や権力の象徴として社会を一変させていきます。
稲作文化が根付くと、人々はそこに住居を構え、ムラ(集落)を形成するようになり、水路として、また、他のムラからの防衛として濠(ほり)を巡らした環濠(かんごう)集落が誕生しました。特に農耕社会が定着した福岡県には、朝倉市の「平塚川添遺跡」のような環濠集落が少なくありません。
この環濠を巡らすには、技術や道具だけでなく、それを担う相当数のムラ人を束ねる首長の存在が必要です。やがて、彼らは近隣の集団を統合し、より巨大な権力を握る王となりました。県内にはいくつかの王墓が存在し、特に「魏志倭人伝」にも登場する「伊都国(いとこく)」には、女王国の防衛拠点「一大率(いちだいそつ)」が置かれるなど、大きく栄えた国が県内に誕生していたことが分かります。
県内の主な王墓分布図
弥生時代の中期から後期にかけて、副葬品の質・量ともに他と一線を画す大きな墓が県内に多数出現した
平原(ひらばる)遺跡(糸島市)
王墓である1号墓のみが復元。日本国の成立に大きく関与したであろう「伊都国」の遺跡として歴史好きにはたまらないスポット
沖ノ島を起源とする信仰を現在に伝える宗像大社と、信仰の伝統を築いた古代の人々の古墳群からなる遺産群です。沖ノ島へは、縄文・弥生時代から人々が往来し、「神宿る島」を崇拝する伝説が古代東アジアの活発な対外交流の中で発展して、今日まで継承されてきました。
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